ミャンマー軍のクーデターと人々の民主主義への渇望

ミャンマーで、軍のクーデターが起きた。ロシアでナリヌワイ氏が拘束された。それに先立って、香港では国家安全維持法でデモをする人々が拘束された。ベラルーシでデモが弾圧された。世界中に民主主義的な政治を求める動きとそれを抑え込もうとする政府の強権がぶつかっている。デモをする人は、ただ選挙の「自由が欲しいだけだ」という。そこにはかつての革命への機運のようなものはない。 このような状況は、2011年のアラブの春から広がっているといえる。アラブの春は決して民主的な政権の樹立につながっていない。そこには民主化を主張するデモの組織者の中に国家についての思想や考えが結実していくことが必要なのではないだろうか。ポピュリズムや単発的なデモでは、19世紀のバクーニンやプルードンほどの理論もない。そして、これらの理論は国家建設には至っていないのである。肝要なことは民主化を唱える根拠となる市民社会の側の理論的営為であるといえるように思える。  民主主義的な政治体制への願いの底にあるものは、市民社会の成長による民主主義的な政治への要求とそれを権力で抑え込み政権の政策を通そうとする強権の2つである。強権を支えるものには様々な原因がある。多くの人々は、「なぜ?」と不思議な感じにとらわれるだけではないだろうか。しかし民主主義的国家の側にも、権力的な腐敗ははびこっているとも言えなくはない。日本を政・官・財の癒着を見ても、アメリカの政治献金とロビー活動の実態を見ても、強権の国よりましとは言えそうにはない。ただ、軍を使って武力で抑えるという方法をアメリカ、日本、ヨーロッパ主要国はとらない。不正が露見すれば糾弾されるというだけのことである。それを抑え込むか、民主主義的な体制を建前とするかという違いであるといえるかもしれない。  今年、2月1日に、ミャンマー軍はクーデターを起こした。1日「非常事態宣言」が発令され、アウン・サン・スーチー国家顧問やウィン・ミン大統領を拘束した。国軍最高司令官、ミン・アウン・フラインが政権移譲を宣言している。それ以後、連日、民主化を求めるデモが、首都のネビドーをはじめ各地で起こっている。  問題は: 1 憲法が軍の議席を4分の1を確保していること 2 軍政政権は、アウン・サン・スーチー女氏の率いるNLDの圧倒席勢力に対し、危機を感じていたことがある。 それ以外に、 135の民族の利害 中国との経済的関係 ということが、ミャンマーの市民社会にとって大きな課題である。この二つはいずれも市民社会の基礎となりえない。そして、国家の建設の大きな重荷で課題となる。ミャンマーの市民組織や企業の自発的成長が待たれる。 ミャンマーは近代市民社会の建設への歩みをまだ、本格的に踏み出すごく初期の段階でといえる。言い換えれば、市民社会は民主主義の土台であり、それを作るに至っていない中で最後の抵抗のごとく起きたクーデターであったのである。多くの民族の存在と中国の経済支援は必ずしもミャンマーの市民社会をもたらすものとは言えない。 海外投資で、近代化するという形は、中国もベトナムもインドネシアもタイも歩んだ道である。絶えず足踏みしたのはフィリピンであった。しかし、良いとも悪いとも言い難いが対側面がある。経済特区は鄧小平の改革開放路線の主な方策であった。今日の中国はその上に築かれている。それが多くの国で採用され、経済特区の効果はいずれも大きなものであった。近代化がそれによってもたらされていることは間違いないところで、世界各国は市民社会を構築し、「民主主義」に傾斜する。国家の独自性が別次元の政策で模索される必要がある。しかし、ミャンマーの軍政権は軍事力以外に何を持っているといえるだろうか。 中国の世界戦略がここにも影を落とす。アフリカをはじめ、世界に広げる中華思想という側面がある。ミャンマーは中国の一帯一路の重要通過点である。中国からミャンマーへの過度な投資はミャンマー自らの市民社会の成立につながらない。そもそも、特区という発想が過度にグローバル市民社会への組み込まれるという側面がある。一面ではグローバル社会の形成という視点ではいいのであるが、国家の役割が発揮できなくなる危険性もある。

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