日本外交の転換の可能性

現在の日本外交は、日米安保条約を基本路線にしている。現在の野党の外交政策もそれから別な路線をとるような目立った主張、方針は見当たらない。ということはアメリカの国家政策の路線の延長線上に日本の外交がある。アメリカの外交路線の基本は、先日3月18日からの米中外相会談にみられるように、米中対立の構図の中にあり、対ロシアとの対立がもう一つの極である。そしてさらに、対イランや対北朝鮮、対シリアなどの中東地域での紛争対応という中にある。アメリカの自衛と「世界の警察」という海上支配を、NATOをはじめとする同盟国で維持するというところにある。日本の外交政策はこのような世界的な枠組みの中で決定されていかなければならない状況である。  米中対立の厳しさは、一面では、第3次世界大戦の原因となってもおかしくないほどまでの段階に来ている。しかし、バイデン政権も習近平政権も武力衝突を望まない。従って、対立は先鋭化し、はがゆさ、イライラを募らせている。アラスカでのブリンケン国務長官と楊潔チー(ヤン・チエチー)中国共産党中央政治局委員の双方で激しいやり取りがあり、爆発したような状況であった。日本との2プラス2の会談では、非常にスムーズな合意関係の下に会談は進んだ。韓国との会談でも中国への対応で食い違いはあったもののアメリカと韓国の同盟路線は確認されている。しかし、中国とは中国の主張する核心的利益での対立と内政干渉とも取れる意見の応酬が顕著となった。その会談での対立は、背後にある利害関係の論理からする時、武力衝突に至る内容であったが、両国の外交の代表者としては、武力衝突を避けなければならない役割のもとにある。そのため引き続き3日間にわたる長時間お話し合いがもたれた。それがブリンケン氏と楊氏のそれぞれの国家官僚としての役割であった。両氏は成果を強調した。成果とは何か、話し合えたということだけであった。それぞれの主張は平行線のままであった。  なぜ、極端な対立のもと話し合えたのか。世界の状況に理由がある。国際分業やその他の双方の経済的な利益があり、破綻を双方とも望まないということである。ファーエイ、TIKTOK、などの摘発で経済関係にくさびは入っているが、多くの経済分野を遮断することは両国とも望んでいない。レアアース、鉄鋼、電機産業をはじめ多くの産業分野で世界経済はグローバル化している現状がある。物流の連携ができている。日本の外交にとっても、中国と日本の産業の連関は、破壊したくない次元のものとなっている。その中で、国家の論理が露骨に出る「国防」とブロック化することはもはや時代の趨勢とはならないという「経済の現状」という、二つの相反する意図が出てきている。矛盾する外交軸を構成している。  中国は、今年の1月に海警法を制定した。昨年5月以降、沖縄・尖閣諸島周辺で領海侵入を常態化している。これに対し、アメリカは尖閣の領有権に日米安保の規定を適用するという対応にでた。海警法では武器の使用を認めているので、武力衝突の可能性がある。中国は、この海域への動きに1万トン級の船舶が関与し、砲を搭載しているものもある。日本・アメリカと中国が戦争状態になれば、NATO諸国が関与することになり、世界戦争への発展の可能性もある。中国はその事態は避けるという考えが主流だと思われるが、危険性はある。 日本の防衛庁は、2007年1月9日に防衛省になった。防衛省設置法と自衛隊法によって権限が飛躍的に強化され、日本は戦争のできる国になったともいえる。そして自衛隊は、徐々に権限を与えられるようになっていく可能性が強い。海外派兵が可能になる可能性がある。武器輸出禁止はすでに解除されている。非核三原則も何かの理由のもと自由化されかねない。 日本の憲法は、戦争を放棄している。しかし、同時に日本は自衛隊という軍隊を持ち、さらに兵器を製造し、2014年から兵器輸出を始めている。我々は、ここに憲法の域と外交の基本姿勢を見直すべき時が来ている。日本国憲法は二重性を持っている。戦争放棄と自衛隊の維持である。元来、国家は戦争を放棄するという規定では成立しえない。武力を行使するところに近代国家は17世紀以来、主権を確立してきた。国家の存続意義は主権を武力的手段で行使するという点にあった。しかし、その意味での国家という近代社会の産物は、すでに二つの世界大戦で自己否定の論理を持っているのである。 国家は未来の世界の在り方からする時、戦争放棄はすべての国が採用しなければならない。核があり極端な軍事技術の進化の中で、国家は平和のための世界機構を構築する必然性がある。そのためには戦争放棄をすべての国家は考慮してゆく運命にある。しかし、現状では軍事力に依存している。世界への軍事力の放棄の呼びかけと同時に、条約が締結され世界機構が国連ではなく世界軍事機構としてできるときまで、各国は軍事力を維持し、国防を実行する必要がある。今、重要なことは世界軍事機構の創設の提案書を作成し、その戦争の廃棄と機構の建設への道程を示すことである。そのような政府が平和国家の中で実現されなければならない。憲法の戦争放棄という側面は、市民社会の動きを中心に進められることになるはずである。自営という軍事的要求は国家が固執することになる。今後成立する政権がこの二重の課題を果たしていかなければならない。 外交の基本は国益である。国家の論理が生きている限り国益のための外交は存続しなければならない。しかし、現在は国民国家としての国益よりも国際環境と国際協力が前面にある。もちろん、帝国主義の国益は否定されるが同時に、覇権をめぐって帝国主義的な側面は絶えず顔をのぞかせる。さらに、国益が資源、領土などをめぐって顔を出す。民族性や宗教性も顔を出す。そのような戦争につながる危険な要素を絶えず考慮しながら、未来の人類の存続を模索する共同作業を行うことが多くの民主主義勢力の課題となることになる。 「強権」という言葉が使われている。民主主義・人々の意思を強力な権力が抑圧するという意味で使われている。香港、ミャンマー、ウクライナ、新疆ウイグル自治区、チベット、ナワリヌイ氏の集会、ベラルーシのデモ、など、民衆のデモの抑圧を批判する言葉である。日本政府は総じて、デモを力で抑え込もうとする軍や警察力などの行使に対して批判的な立場に立っている。しかし、民主主義な人権、人道的立場という外国のデモの動きに政府が関与するときは、国際社会のルールからすれば、内政干渉になる。強権に対しては民衆の連帯、市民社会の連帯が国家という枠を超えて求められ、活動する必要がある。 トランプのアメリカ第一主義は終わった。そしてバイデンの同盟を中心とした外交政策が前面に出ている。しかし、アメリカの国家政策が同盟主義となるとき、対抗勢力は軍事力を強化してゆき、同盟勢力も軍事力に依存することになる。そこには戦争という道しかなくなることになる。  国家による同盟政策よりも、グローバルな市民社会に基づいた世界的な機構を作ることが世界の平和と安定になるはずである。国連をはじめとした国際機関の立て直し、もしくは解体と再建が必要なのではないだろうか。例えば、WTOは機能しなくなっている。特に、トランプ政権の国家主導型の政策が国際的な協調ルールを拒否することが多かった。WTOは貿易紛争を解決し、関税などを引き下げて、自由貿易を実現することを使命としている。WTOの紛争解決の最終審の委員の選任を、アメリカは拒否し続けた。2019年末にはWTOはマヒ状態となっている。中国も、国内の貿易政策をWTOに通知するルールを順守していない。戦後の自由貿易体制は、GATTによって推進され、WTOに発展したかが、近年、国家利害が前面に出てきて機能停止に陥っている。  WHOの中国寄りの対応をトランプ政権は批判し、拠出金の支払いを停止した。中国は国際機関に中国政権の意向を反映する人事を戦略的に進めてきたと言える。世界機関の国家的利用ということは、国際機関そのものの否定につながる。むしろ国家的利害を反映するという国際機関の体制自体に問題があると言わざるを得ない。  何より重要な世界的な機関は戦争廃絶に向かう国連である。しかし、国連は戦争廃絶への動きをしていない。世界の軍事情勢は各国の政策にゆだねられているのが現状である。国家はこれまでの歴史で戦争の原因を作ってきた。そこから国家を超えた世界機構を創設することが今後の課題となる。国連はもともと国家の代表によって作られているので、国家利害の上に成立しているので、普遍的な超国家的な世界機構とはなりえないのである。

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