行政改革のターゲット

 

1981年に始まった土光臨調、さらにその前の第一回の臨調(1961年スタートの「臨時行政調査会」)以来、行政は様々な改革が行われてきた。その中で、日本の国家制度も改良、変化してきている。汚職の構造、行政の姿勢、天下り、収賄などの改善も加えられてきているように思える。日本の国家体制の基本構造は、政党、官僚、企業の鉄のトライアングルでできていた。その中で官僚体制が支配体制の中枢を占めていたと言えるのではないだろうか。責任内閣制=議院内閣制ではなく、官僚内閣制だともいわれてきた。官僚制への切込みは確かに進んでいるし、政治の変化を政策に訴える制度としての政治改革、小選挙区制の導入も行われてきたと言える。

 

国家公務員改革基本法が2012年に福田康夫内閣によって提出された。その中で内閣人事局を設置するということは、官僚制に対して政治主導を進めることになる。官僚の幹部600人の使命を内閣が行うという形になる。官邸主導は、特に小泉政権の大きな変革の動きで、渡辺喜美氏が中心に改革を進めてきた。2014年に内閣人事院の創設で一段落となったと言える。ただ国家制度としては、世界の諸国家の制度を比較して検討する課題が多くある。官僚制のあるべき姿の模索の一段階といえる。

 

小選挙区制と政党助成制度が、官邸主導の体制の下地となった。官邸主導で、脱炭素の2兆円基金を創設すると、菅首相は今年の1月18日の施政方針演説で訴えた。通産省は1兆円、財務省は数千億円と見積もっていた。首相の意向が通ることができる制度となってきたと言える。ただ、その首相の判断が正しいかどうかには正直疑いが残る。菅内閣の膨張し続ける財政支出は無責任な財政膨張にはつながらないかという懸念がある。財政健全化の視野がますます見えなくなってゆく。安倍政権にしても、消費税の引き挙げ、ふるさと納税による不公平、武器輸出解禁、NISAなどの強化による社会の証券化など、あまりにも国民に対する不利益をもたらす政策がとられたことを鑑みるとき、官邸主導が悪い社会を導くことになりかねない危惧を持たざるを得ない。

 

官邸を支える官僚が膨らんでいる。内閣官房、内閣府の職員数が2001年度、2800人、12年度3166人、20年度3677人である。また、各省のほうも首相や官房長官の意向を把握することが重要となり、エース級を送るようになっている。小泉純一郎首相は2005年に郵政民営化を果たしたのも官邸の力の増大によっていたと言える。内閣人事局に600人の各省の幹部人事を掌握するということが、官邸主導で「官僚=省」にたいする議会の優位という事態の基礎となっている。

 

政治の政策が大きな役割をもつ改革の一つに小選挙区制の導入がある。衆院選で小選挙区比例代表制になったのは、1996年である。中選挙区が政治と企業の癒着で金と権力が結びつく構造を持っていたことに対する改革であったと言える。政治改革はそれから進んだと言える。政党の理念や批判を反映して、政権交代が起こりやすくなった。その結果、派閥政治も影響力を減らしてきた。しかし、この中での最大の問題は、政治公約マニフェストに国民の理解がどこまでついていけているかということがある。様々な政治評価の市民組織が必要ではないだろうか。小選挙区制の欠陥の一つは死票が多いことである。それを補うために比例代表制が並列されている。

重要なことは、政治理念と政策である。政治の課題が政治理念でどのように対応されるかということが政党政治の中で選挙の時に争点になる。例えば、安倍政権やそれを受け継ぐ菅政権にみられる「財政を放漫にしてよい」、という理解は、危険である。この二つの政権は財政再建を放棄している感がある。デフレを敵視する経済理解も国民の生活状況を無視した経済成長偏重、株価神話の信仰につながる危険がある。社会の金融化による格差の問題も取り上げられなければならない。これらの課題にたいしてより大きな変革の課題が日本をよくするためにはより適切な現状認識が必要となる。

変革への動きの中で既成政党にとらわれない勢力が台頭してきていた。しかし、第三極の勢いは一時大きくなっていたが、最近では下火になっている。渡辺喜美の「みんなの党」、「維新の会」、「希望の党」はこれまでの政治勢力とは違った新しい人々に政治参加への可能性を示していたと思える。無党派層に訴える力があった。研修会で新たに国政に参加しようとする人々を集めるという新たな動きを広めた。ところがその流れも断ち切れる。無党派層の票は、2014年の23.5%、17年には9.1%と失速した。民意をくみ上げそれを政治に結びつけるということが、これら三党で実現しきれなかった。

近代国家は選挙に関する思想が一つの役割を持ってきた。トマス・ペインの近代国家の理論からすると、選挙には国家への参加という理念がある。ルソーの一般的意思という論理がある。レーニンは、選挙は腐敗で論議が尽くせないということで「ソビエト」という評議会で国家を作ることを唱えた。選挙の可能性を国民の意思、議院内閣制の根本として検討するためには、いくつかの政治体制の改革が必要となる。国会議員の意思が政権の政策につながること、そのための内閣人事局の創設が生きてくる。選挙制度の改革としての比例代表制と小選挙区制も生きてくる。欠如しているのは、人々の意見を吟味する機会=市民による任意団体の活動であり、それを政党がくみ上げ選挙につなげる土壌である。

党の側の政策対応は、党の発信力を高めるという課題にとってカギになる。自民党は政務調査会改革を進めている。政務調査会は部会の機能が重要である。部会は閣僚人事につながってくるということにもなる。また、行政改革本部や党・政治制度改革実行本部などの機能が重要であるが、その政策に必ずしも国家的必要性か、むしろないほうがいいのではといった疑問も残る。「部会」、「政策の推進本部」、「族議員の活動」といったものに良し悪しはあるが、政策を具体化する経験を積み上げるということの意義はある。自民党の政治能力の根源である。その経験と現状の分析成果と市民の理解の浸透という2つの事柄が成就することで日本の政治体制は国民にとって有意義なものとなっていくのではないだろうか。

 縦割り行政の是正に向けた動きは牛歩のごとくではあるが少しづつ進んでいる。新型コロナ対策をめぐり、厚労省と都道府県、保健所と縦横断の壁にぶち当たっている。縦割り行政の非効率がコロナ対策で表面化している。これまでの省の組織の変革はいくつかある。最近の例で言えば、子ども庁の創設である。これまで厚生労働省、文部省、内閣府の縦割りが弊害となっている。子育てや少子化対策、福祉政策にかかわる部署は厚生労働省の子ども家庭局、文部省の初等・中等教育局、内閣府の子ども・子育て本部などに分かれている。保育所、幼稚園、認定ことも円の所管を子ども庁に集約することは必要な改革である。

 政党の機能が官僚任せの国家体制から、議院内閣制の国家体制に歩み始めたと言える。党の政策機能や、マニフェストによる党の選挙公約、が動き始めたのは、55年体制が崩壊した1993年ごろからの変化の中で試行錯誤してきた結果だともいえる。その中で省庁の再編が行われ、必要に応じた再編が繰り返されていくことで議院内閣制は意味あるものになる。さらに重要なことは政策の提案や検討が市民組織と選挙に結びついていくことである。アメリカの大統領選挙などの市民の運動やロビー活動には、良い面と悪い面があるし、ラルフネーダーなどにみられるようなアメリカの選挙に関する政策の支持の調査なども参考にして検討することも有益だと思われる。日本の選挙が姿を変えながら政策論争を実りあるものにしたいものである。

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